ご存知の方も多いと思うが、欧米の自動車教習所には練習コースなどは設置されておらず、運転教習はいきなり路上で行われる。しかも主流の運転免許は、運転操作がより複雑なマニュアル免許である。
どうして最初から路上での教習が可能なのかというと、その背後には郊外にあるADAC(ドイツ自動車連盟)の運営する練習コースの存在がある。運転免許を持つ家族や友達にその練習コースに連れて行ってもらい、大体の操作や走り方など覚えてから運転教習に臨むのが一般的なようだ。
17、18歳の若者たちより暇ではない私は、直接路上での運転教習を始める事となったが、これがさながら苦行のようであった。というのも、教官たちがまるで戦後の体育教師のようで、パワハラ、セクハラに留まらず人種差別発言まで飛び出す横暴ぶりなのである。運転操作も交通ルールもまともに分からないままおっかなびっくり運転しているそばから「なんでこんな事も出来ないんだ。」「本当にドイツ語分かってるのか。」と怒鳴られる。あまりの理不尽さに耐えかねて抗議したこともあったが、残念ながら理屈が通じる相手ではない。恥ずかしながら、いい大人が何度か運転教習の後に悔し涙を流したものだ。しかしそこは、幼い頃からレッスンで厳しい批判を受けながら育ってきた音楽家としてのしぶとさで耐え抜き、最終的な実技試験にまで漕ぎつけた。
ドイツの実技試験は、交通局から各教習所に試験官が派遣されてきて、運転席に教習生、助手席に教官、後部座席に試験官が座り、試験官の指示に従いながら進行する。無事切り抜けるとその場で運転免許証を受け取ることになる。
友人たちから試験の厳しさは十分聞いていたが、試験当日、私の前に既に走り終えた教習生たちが暗い顔で戻ってきて、教官たちが「今回は予想外に厳しい」と囁きあっているのを聞いて、始まる前からすでにナーバスになってしまった。
案の定、街中では合流に戸惑って後ろに渋滞を作り、高速道路では、その日に限ってどこから入って良いか分からないくらいトラックがずらりと並んで走っており、すんでのところでギリギリ合流したのが危険すぎということで、私もあっけなく落第した。
一度落ちてもあと二回チャンスが与えられるのだが(ドイツの試験は三回ルールが多い)帰国前に日程の調整ができず、残念ながらドイツでの苦労は報われることなく終わった。
試験に落ちた後、やはり私は運転には向かないのだろうかとも思ったが、かけた時間と費用を考え、日本で再び挑戦することにした。
日本でも教習所の教官というのは厳しいものと耳にしていたので覚悟して挑んだのだが、厳しいどころかとても親切なことに拍子抜けてしまった。感じやすい今どきの学生さんたちに向けて教習所も考えているのだろうか。
運転教習では、ある程度教え方がマニュアル化しているのもあるかもしれないが、各教官が運転のコツなどを細かく教えてくれるのが助かった。このあたりは、できない生徒も見捨てない日本の教育に通じるものがあるのかもしれない。ただ、丁寧な指導にもデメリットはあり、各教官に細かなコツなど教わるうちに、考えすぎて却って出来なくなったりして、難しいものである。
実際の試験では、かなり危なっかしい箇所もあったのだが、何とか受からせてくれようとする教官の応援を感じて、必要以上にナーバスにならず挑むことができた。
さて、こうして運転免許を取り終えて、晴れて路上に走り出してみると、教習所で経験した苦労はほんの序章に過ぎず、実際の路上では思いがけない事態に自力で対処しなければいけないことに不安を覚える。しかしそれでも、人生の中での今後の可能性が10パーセントは広がったような気がして、とても嬉しい。