3月28日にミャンマーを震源とした大地震が起きた。当時私は隣国タイのバンコクにいて、実際に揺れを経験したので、備忘録としてここに書き残そうと思う。
結果としては、元々予約していた飛行機の便で無事に帰国できた上に、怪我や大きなトラブルもなかったのが不幸中の幸いだった。それでも地震発生から出国までの一晩は気が気ではなかった。
地震発生当時はホテルの中層階にいて、現地出身のスタッフと座って作業をしていた。ふと空間全体がゆっくりと揺れ始めたのを感じ、天井を見るとシャンデリアが揺れていたので、他のスタッフに「これって地震?」と聞いたが、みんな口を揃えて「いや、タイで地震なんて滅多にないよ」「何かのサイドエフェクトだよ」と否定した。「いや、地震じゃないとしても何のサイドエフェクトだよ…どちらにせよ怖いな…」と警戒心が強まったところで揺れが大きくなった。まるで荒波に翻弄される船に乗っているような横揺れで、その時初めて全員の表情が変わり、「地震だ」と自覚するや否や立ち上がった。立つと揺れでふらつき、相当大きな地震が起きたのかも、と心底不安になった。シャンデリアが音を立てて大きく揺れ始めたので、一目散に出口に向かって走った。今これを書いていても当時を思い出して息が詰まってくるのだが、ただただ人の流れに沿って非常階段を降りていくことで精一杯だった。なんと言っても、そこは慣れ親しんでいる場所ではなく海外だ。日本の学校で誰もが習うような、「まずは机の下に潜りましょう」などという常套手段は通用しない。地震がほとんど発生しない国の建物の強度も想像できない。とにかく外に出たい一心で長い階段を降り続け、やっと外に出ると、道の向かいに見える高層ビルの最上階から滝のように水が流れ出ているのが見え、死への恐怖で頭がいっぱいになった。バンコク市街はビルの上部に屋外インフィニティープールを設けていることが多く、私が見た滝のような水もそこから落ちたものだろう。頭上に注意を払いながら人の流れに乗って逃げていると、何人かの現地出身のスタッフと合流することができたので、一緒になって逃げた。元々渋滞で混雑していた道路に、私と同じように建物から逃げてきた人々が隙間を縫うように流れ込んでいた。外は真夏の一番暑い昼間の時間帯で、少し外にいるだけでも汗が吹き出し、喉が渇くような気候だった。長く外にいられないことはすぐに想像がつき、それも不安に拍車をかけた。
逃げている最中、街中で色んな反応を示す人を見た。スマホをかざして逃げている様子を実況する人、シェービングクリームをつけたまま逃げてきたことを周りの人にアピールしながらヘラヘラする人、特に動揺することもなく落ち着いて店先に座っている人、私と同じように不安そうにしている人…どんなに余裕がなくても、人々がそれぞれに振る舞う姿はとても鮮明に覚えている。
ホテルからある程度離れたところでスマホを開くと通信機能は正常だったので、一通り現状を同僚や家族に伝えてから、一旦低層の建物が多いエリアに移動することにした。バンコクの中心地は高層の建物が多く、工事中らしき建物も多い。ヒビが入っていて見るからに古い建物も少なくない。熱中症や余震、二次被害の発生などが常に頭をよぎっていたが、一緒に避難していた人たちとお互いに気を配りあえたことに心が救われた。
避難しようとした公園は人で溢れて入れないという情報があり、近くの低層の建物で休むことにした。そこは丁度お店だったのだが、こちらが申し訳なくなる程に、スタッフが優しかった。最初は外にあるベンチで休ませてもらっていたのだが、クーラーの効いた室内に入るよう誘導してくれた。中に入るとウェルカムドリンクまで無償で提供してくれ、その上充電器も使うよう提案され、その厚意が本当にありがたかった。実際、そのお店に至る道中に偶然通った別のお店の軒先でもペットボトルの水を無償で受け取り、炎天下で水も持たず外に出た中で心底救われた。
お店には2、3時間程度いさせてもらい、その間は家族や友達への連絡と情報収集をしながら外の様子を伺っていた。頃合いを見てホテルに戻り、翌日の早朝の出発までホテルで過ごしたが、余震などの不安から高層階に行くことそのものが怖くなってしまい、結局ほとんどの時間を一階のロビーで過ごしていた。地震が起きた日の夜には交通状態も街の様子も通常時に戻っていたが、ショッピングモールが早めに閉店したり、多くの住宅で壁にヒビが入っているという情報が届いたりと、地震の影響は如実に残っていた。
帰りの飛行機では、今まで感じたことのない安堵感でいっぱいになった。日本の空港に到着して夫の姿が見えた時には心底安心したが、それまで感じていた不安感が抜けきらず、自宅までの移動中も「ここで急に事件や事故が起きる可能性はゼロではないんだよな」とぼんやり考えていた。今回の地震に限ったことではなく、2011年の震災や2020年のパンデミックを経験して、突然日常が大きく変わることを身に染みて感じてきた。世界中の事件や事故、災害や戦争のニュースが毎日のように飛び込んでくるが、自分が直接体験していないことでもその場に居合わせた人々のことを考えてしまい、以前よりも輪にかけて身に堪えている感覚がある。自分の心のケアを意識的にしていかないとと思うと同時に、幸運にも日常に戻ることのできた私が、世の中のためにすべきことについて考える今日この頃だ。

地震の二日前、バンコクの中心地。