ロシアによるウクライナ侵攻が始まって一週間も待つことなく、プーチン大統領を支持しているという、ロシア人であり世界的指揮者のゲルギエフ氏が、任期中だったドイツの名門、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を解任された。私はドイツ留学時代に、ドイツ人の第二次世界大戦への反省がただならぬ根深さであることをひしひしと感じていたし、他国に比べてこうした問題にかなり敏感であることはわかっていたが、それにしても今回のこの対応はあまりにも迅速で驚いた。
芸術というものは、世が世ならプロパガンダとして利用される。実際、歴史的にみても、政治や社会が芸術に与える影響は大きい。著名であればあるほど、避けて通れない道になるのであろうが、その中でも代表格として思い出されるのが、作曲家のショスタコーヴィッチである。
つい先日、偶然にもショスタコーヴィッチの交響曲第13番「バビ・ヤール」の譜読み(初めて弾く曲の楽譜をあらかじめ見て演奏できるようにしておくこと)をする機会があった(結局指揮者がコロナ陽性になり代役が立たず、やむなくコンサートが中止になってしまったので譜読みだけにとどまってしまった。このタイミングでやれなかったのは心底残念である)。「バビ・ヤール」とはウクライナのキエフ地方にある渓谷の名であるが、ここで第二次世界大戦中にユダヤ人の大虐殺がおこなわれた。のちにこの地をおとずれたソ連の若い詩人エフトシェンコが、墓碑もないことを嘆き、ソ連政府の反ユダヤ主義の批判と告発を含んだ詩「バビ・ヤール」を発表し、これがショスタコーヴィッチの目にとまる。この反体制的ともいえる詩をもとに、オーケストラにバス独唱とバス合唱が付いた「交響曲」として作曲し、スターリンの死を待って発表した。(*「バビ・ヤール」は第一楽章の詩であるが、交響曲第13番全体の通称となっている)
スターリンの死後、表立っての弾圧はできなくなっていたものの、それでも初演時にはかなりの妨害にあったようだ。詩の改変なども求められ、結局詩人が圧力に負けて変更(ファシズムに打ち勝ったロシアの偉業を讃える内容に変更)した部分も、ショスタコーヴィッチは断固として音楽は変えなかった。スターリン政権下で、おそらくは(諸説あるので断定はできないが)自分を殺して政府に貢献し続けて来たショスタコーヴィッチの、ようやく開放され、これからは自分に従い作品を作るのだという強い意思が読み取れる。
ゲルギエフ氏の話にもどるが、実際のところ、彼が本心からプーチン大統領を支持しているのかはわからない。私自身がもし、政府なるものに圧力をかけられ、もしくは餌をぶら下げられていたならば、そう簡単には逆らえないし断れない。命がけの話であると思う。実際、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団は、解任までの数日間、ゲルギエフ氏に確認をとろうと試みたが回答がなかった、としている。言えない、ということもあり得るのだ。とくにあんな暴君の下では想像するにあまりある。
ショスタコーヴィッチは体制に迎合し、スターリン賞、レーニン勲章などを何度も受賞している。地位と名声というご利益があったのも事実である。交響曲13番の第5楽章は「出世」という題名であり、ガリレオ・ガリレイとほかの学者たちの対比を描いているが、それはまさにショスタコーヴィッチ自身が置かれていた状況と重ねざるを得ず、言い訳とも反省とも取れてしまうような内容である(地球が自転していることはほかの学者も知っていた、しかし彼には家族がいた / ガリレオはひとり真実のために危険に立ち向かった、そうして彼は偉人になった)。ゲルギエフ氏ももしかしたら、平時である際に(まさかこんなことになるとは思いもせず)、ちょっとした野心から、プーチン大統領を支持したということも可能性として考えられなくはない。あるいは本気で支持しているのかもしれない。真相はわからない。
ショスタコーヴィッチはスターリンの死後、自身のイニシャル「DSCH」をドイツ音名に読み替えた音列(レミ♭ドシ)を作品の中に多く配するようになる。自分が自分である、という叫びであるかのように。
芸術家のみならず、人間にとって、自分の核なる部分を素直に表明できないことは、たいへんに苦しいことである。日本ですら、自分の思想などを表明することをどこか忌避する傾向があるように感じているし、「もの言えない雰囲気」が蔓延しているような息苦しさはあるが、そうは言ってもショスタコーヴィッチが生きた、政府のためになら公に嘘をついてでも自分を偽らざるを得ないそんな時代のソ連など、自分とはどこか別の世界の、歴史の中だけの出来事のような感覚でいた。先日、ロシア人ピアニストのベレゾフスキーが「キエフの電力を遮断しないのか」などという発言をし、大きな波紋を呼んでいる。記事だけ読むととんでもない奴だな、と思うが、すこしばかり深追いしてみると、発言は切り取られたものであり、また、ウクライナ支持傾向である彼の娘が去年突然ロシア警察に逮捕されたなどという背景も見えてくる。もちろんこれについても真相はわからないが、こうしたニュースを日々目にしながら、いよいよ「別世界」が身に迫ってきているおそろしさを、ひりひりと感じる今日この頃である。