パートナーと同居してそろそろ一年が経とうとしている。
引き続き感染症が流行しているため、パートナーも私も自宅とその周辺で過ごすことが圧倒的に多い。そんな景色の変わらない生活や繰り返す日々のタスクに疲れを感じる時があり、余裕のない時にはたまに言い合いに発展する。言い合いのきっかけはとても些細なことが多い。どちらが皿を洗うかとか、掃除の仕方が気に入らないとか、普段なら話し合って解決するようなことも、心身的な余裕がなくなっている時には言い合いに発展してしまう。
余裕がなくなる要因は生活の至る所に散らばっている。仕事が忙しかったり、うまく眠れなかったり、お腹が空いているのに食べ物がなかったり、ちょっとだけ嫌なことを言われたり、やりたいことがあるのに我慢しなくてはいけなかったり、単純に気分転換が必要なタイミングだったり。小さな不満は少しずつ積もって、ある一定のラインを超えた時に表出する。言い合いの中で相手を責めるような表現をしてしまうこともあり、常に相手への尊重の姿勢を崩さずに落ち着いて折り合いをつけることの難しさを痛感する。

ロシアとウクライナの戦争が始まってから、自分の無知を恥じつつ色々と調べていると、ずっと前から今回の火種があったことが分かってきた。自宅と国家では規模こそ大きく違うが、折り合いのつかなさや余裕のなさ、他にも色んな事情が重なって複雑に絡み合って、あるタイミングをきっかけに争いに発展する様は似ている部分があるし、それは会社でも家族でも、とにかく人と人がいるところではしばしば起こる。ただし国家の単位での争いは、個人の意思に関わらず理不尽な形で市民が争いに巻き込まれていく。その様が毎日ニュースになり、いつも通り過ごしている自分のところまであっという間に届くことが奇妙で、どういう態度でいればいいか分からなくなる。在日ウクライナ大使館に募金したりして何とか自分の出来ることをしてみても、混乱している自分の頭との折り合いをつけるのは難しい。     

今回の戦争が始まる少し前、丁度ロシアとウクライナ間の緊張が高まっていた時期に以前から見たいと思っていた『メッセージ(原題:Arrival)』という映画を鑑賞した。言語学者である主人公は、突然やってきた地球外生命体となんとかコミュニケーションを取ろうと、知性を持って試行錯誤する。しかしそれと同時に、恐怖心に囚われた国のリーダーたちが攻撃の準備をしたり、暴動が起きたりする。SFとはいえ思っていた以上にタイムリーな内容だった。
恐怖心に囚われることなく知性と対話の可能性に淡々と従うことに尊さがある。なかなか落ち着いてくれる様子がない感染症のことも、全く先行きの見えない戦争のことも不安や恐怖心を掻き立ててくるけれど、自分の手が届く範囲内のことに理知的でいる姿勢をどうか崩さないでいたい。そのためには、さっき夕食で使った食器やフライパンをどっちが洗うかをまずはちゃんと話し合わなきゃいけない。
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