12月8日
約四ヶ月ぶりに日本に戻ってきた。青空が広がっていて太陽がまぶしい。日本の冬はこんなに明るかっただろうかと思う。まだまだ続いている戦争の影響で、フライトは相変わらず長かったが、ワクチン接種証明を見せただけで検疫を通過でき、荷物を受け取ったらすぐに電車にも乗れる。検査の結果待ちで空港に8時間待機したり、はるばる空港まで家族に迎えに来てもらったりした時のことなどを考えると、夢のようだ。入国制限の緩和が進み、心の負荷が減った海外在住の日本人は少なくないのではないかと思う。


12月10日
今回の日本滞在の主な目的は、弟の結婚式に参加することだった。海外生活を送るなかで、ほとんどの冠婚葬祭に参加できずにきたが、なんとか仕事を調整して帰国することができた。
そんなわけで、朝から軽井沢にある結婚式場に向かう。親戚と会うのも久しぶりだ。弟は、よほど嬉しいのかにやけっぱなしで、それに対してお嫁さんは終始緊張の面持ちだったのが微笑ましかった。披露宴では、弟の修士論文を無理やり今日の式にこじつけた、ユーモア溢れる弟の恩師のスピーチがあったり、なぜか途中で切れる同僚製作のビデオレターの投影などがあったり、これぞ日本の結婚式といった感じの、笑いの絶えない楽しい宴だった。心から二人とも幸せになってほしいと思う。


12月12日
弾丸帰国だったので、あっという間に滞在最終日だ。友人何人かとも会うこともできて、慌ただしいながらも盛りだくさんの充実した滞在だった。今回不思議だったのは、これまでの帰国の時よりも日本を非日常に感じなかったことだ。やはり、昨夏まで一年間滞在していた影響で、日本の生活が日常だった感覚がまだ抜けていないのかもしれない。帰りの飛行機では、知らない間に寝入っていて、気づくと到着3時間前だった。今回はアラスカ回りの飛行ルートだったらしい。乗り換え地のロンドンでは、夕方なのに暗いと思ったら雪が降り積もっていた。ヨーロッパの冬に戻ってきたなと思う。


12月17日
仕事が終わったあと同僚宅で飲み会があり、途中、テンプルステイの話題になった。ある韓国人の同僚が、大学卒業時に、将来への不安や卒業試験への緊張から追いつめられて、知り合いの僧侶を訪ねてお寺で一日過ごしたことがあったそうだ。特に何があったとは告げずに、これからお寺を訪ねてもいいかと聞くと、僧侶は快諾してくれたという。お寺を訪れると、僧侶は他愛のない話をしながらお昼ご飯を振る舞ったり、お茶を出したりして彼女をもてなしてくれたらしい。結局最後まで、僧侶は彼女に何があったか訊ねることはなかったそうなのだが、そうして時間を過ごすうちに、夕方にお寺を後にする頃には、彼女の気持ちは不思議と落ち着いていたらしい。
何か問題があると、とかく人は(私もそうなのだが)焦って解決策を求めてしまいがちだ。しかし、そうやって右往左往する前にまず必要なのは、一旦心を落ち着けて、問題に向き合える心の体力を取り戻すことなのかもしれない。


12月19日
クリスマスが来ないうちに、すでにニューイヤーコンサートのリハーサルが始まる。今回は恒例のワルツプログラムに、スペインのレパートリーも入った変わったプログラムだ。指揮者は、ロサンゼルス生まれ、ラスヴェガス育ちというアメリカ人で、朝からテンションがとても高い。自虐気味のジョークで、リハーサル中よく笑いが起きていた。ドイツ人指揮者だと、初めはもう少しお高くとまっている人が多いが、アメリカのオケでは、団員に対しても普段からこのようなサービス精神が必要とされるのだろうか。


12月27日
クリスマス前後は、公演が多いのに加えて、人と集まる機会も多くなかなか落ち着く暇がない。しかし、「家でゴロゴロしながら本を読みたい」という、ここ最近の願いが今日ようやく叶った。読み始めたのは、「ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔」(小泉悠 著、php出版)。
ロシアという国には、大学生くらいの頃からずっと興味を惹かれてきた。きっかけは、ロシア同時通訳者の米原万里さんのエッセイを読んだことで、その後さまざまな本を読み進めるうち、なんと極端で我が道を突き進む国なのだろうと思っていた。その極端さが、文化芸術、科学技術の大いなる発展につながることもあれば、とんでもない事を引き起こしたりもする。市井の人々も、そんな穏やかならぬ世の中を斜めから見つつ、たくましく生きているという印象だった。
かなり久しぶりに読んだロシアに関する本だったが、街角の人々は、相変わらずしなやかにたくましく生きているようで、著者が体験した微笑ましいエピソードなども綴られていて楽しい。しかし、後半に書かれているロシアの現在の国内情勢、国際社会に対する認識を読み進めるうち、暗澹たる気持ちになってしまった。今後ロシアが「剥き出しの力の論理」で「大国」として西側諸国に対峙し続けて、結局また歴史は繰り返すのではないかと思ってしまう。数年後のロシアの「まちかど」は、どんな風景になっているのだろうか。


12月31日
劇場付きのオーケストラに在籍しているため、クリスマス、新年、大晦日は大抵働いているが、今年は珍しくお休みだった(といっても公演はあるので、他のメンバーが弾くことになっている)。しかし、休みだったはずなのだが、案の定同僚の一人がコロナになり、結局夜の公演を弾くことになる。
公演が終わった後、同僚宅でのカウントダウンパーティーに参加した。こちらの年越しは、年が明けると同時に、人々が街のいたるところから一斉にロケット花火を打ち上げるので、なかなかにぎやかで、除夜の鐘が鳴り響く厳かな日本の年越しとは対照的だ。コロナ禍では花火は禁止されていたが、今回から再び解禁になったのもあってか、いつにもまして騒がしく、年が明けてしまってからも長いこと花火の音が鳴り止まなかった。
来年の今頃はいったいどこで何をしているだろうか。と、ここ数年、年越しのたびに考えている。こんなフラフラしていた時代を懐かしく思い出す日が、いつか来るのだろうか。
こうして公開型の日記を書くことも、去年の今頃は想像だにしていなかった。文章を書くなかで気づいたことは多く、こんな機会を与えてくれた戸島姉妹に心から感謝したいと思う。そんなわけで、みなさま2023年もどうぞよろしくお願いいたします!
Back to Top